心を癒す「リトル・コンサート」

昨日(2009年11月14日)は、小学5年の娘のピアノ発表会「リトル・コンサート」の日でした。今回で出演5回目。娘の出来は、親ばかですがパーフェクト。私たちの緊張も解け、ほっと安心。娘の話しは、これくらいで。

出演する子供たちの中で一人、身体に障害を抱えた男の子がいます。小学2年くらいでしょうか。今回で3回目かな。舞台へは、先生といっしょに登場します。彼がバンザイをするように先生が両手を吊り上げて、ほとんど引きずられるように。彼は、毎回新調した正装で出演します。家内の話しでは、おばあちゃんが楽屋でうれしそうに着替えをさせていたそうです。

椅子から倒れそうになる体を必死でこらえ、視点は定まらず、不自由な手を一生懸命に動かします。発表は、独奏と先生との連弾の2曲。独奏では音が途切れがちでしたが、先生との連弾では、ほぼ連続したメロディ。2曲とも完奏しています。

彼の作品に大きな拍手を送るとともに、彼を見つめる親の眼(まなこ)に立った時、胸が目頭が熱くなります。決して平たんではない日常生活、将来への不安、さまざまな困難があるでしょうが、今この瞬間、彼に注がれた親や家族の温かい思い、固い絆(きずな)を感じずにはいられなかったのです。

リトルとはいっても、会場は市民会館のホールを貸し切り、舞台中央には、大きなグランドピアノが2台。私たちが会場に到着した時には、調律師が1音1音念入りに調整していました。

そのグランドピアノ。鍵盤を打てば、音が出ます。上手な子が打っても、彼が打っても音は同じ。打つ強さやタッチ、間合のような技術的なものを除けば、グランドピアノは、打つ者が誰であるかを問わず、同じ音を奏でます。打つ「入力」に対して、一つとしてバイアスがかかることなく、真正直に音が「出力」されます。当り前といえば、理屈としてはそうなのですが、しかしそれは、意識する必要がないから「当り前」なのではないかと、今回ふと思ったのです。

障害を抱えた彼にとって、鍵盤を打って音が出ることが、どれほど大きな意味を持つかは、健常者では容易に想像ができないのではないかと思ったのです。バイアスがかからないアコースティック楽器の特性に、身体障害者、知的障害者、精神障害者と健常者、お互いが特別に区別されることなく共に生活を送る姿「ノーマライゼーション」の原点、根幹があるように感じたのです。

(2009年11月15日掲載)
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